勉強が“できる”“できない”は、生まれもった能力の違い?
勉強ができるできないを、「元の頭の良し悪しが原因だ」と思ってしまうのはどうしてでしょう。
小学校に入ると一斉に同じ内容の勉強を同じペースでスタートするはずなのに、年数が経つにつれていつの間にか成績の差がひらいていってしまいます。
すると、「同じ授業を受けているのに差がでるのだから、勉強って結局頭の良し悪しの差だよな〜」と感じるようになります。
さらに、勉強ができる人に対して「頭いいね!」という言葉を使うので、「勉強ができるかどうかは、生まれもった能力の差だ」という考え方をより定着させているのではないかな…と思っています。
ただ、これまでに私がみてきた勉強ができる子たちは、授業をしっかりと聴いていて、家庭学習も毎日決まった時間にきちんとしている子がほとんど。
つまり、成績の差は能力の差ではなく、努力の差だと感じています。
でもその努力を続けることが、本当に難しい…。
だって勉強って面倒じゃないですか(真顔)。
好き嫌い関わらずいろんな教科を勉強しなくてはいけませんし、考えたり覚えたりして、頭をずーっと使い続ける必要があります。
アラフォーになってから勉強をすると、昔よりさらにしんどさを感じるようになりました。
特に中学生のレベルになると、教え終わりはぐったり…。
「これって思っている以上に体力や精神力を消耗する作業なんだな〜」と、痛感しています。

成績がいい子で苦労していない子はまずいません。
わが家では、このちょっとしんどい「授業をしっかり聞く」や「家庭学習を毎日する」を続けるために、目標をもつことを意識する話したり、学習習慣を身につけるための仕組みづくりの工夫をしたりしています。
成績がいい子は、生まれつき頭がいい子ではなく、「頭がよくなる努力を続けられる子」です。
そして、その“続ける力”は、習慣で育てることができるのではないでしょうか。

